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ラマナ 動画
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ラマナ・マハルシ ウパデーシャ・サーラム(Upadesa Saram)
教えの精髄かつてダルカの森にリシたちの集団が共同で住み、超自然力を身につけようとして祭式を行っていた、という古い伝説がある。その同じ手段によってリシたちは究極的な解放を得ようと望んでいた。 しかしここで彼らは思い違いをしていた。というのは、行為はただ行為に帰着することができるだけであり、行為の停止をもたらす事はできない。祭式はもろもろの力を生み出すことはできるが、しかし祭式や力やすべての形態の行為を超える開放の平安を生み出す事はできないからである。 彼らの誤ちを彼らに納得させようと決心したシヴァは、そのために放浪のサドゥーとして彼らの前に姿を現した。シヴァと一緒に、ヴィシュヌが美しい貴婦人の姿をしてやってきた。すべてのリシたちはこの貴婦人への恋にかられ、そのために心の平静が妨げられ、祭式によって得た力は衰えてしまった。 その上、森の中でリシたちとともに住んでいた妻たちは、みなその未知のサドゥーへの恋に落ち込んだ。これに激怒したリシたちは、魔法の儀式によって象と虎を呼び出し、サドゥーに襲いかからせた。 しかしシヴァは、たやすくそれらを殺害し、象の皮を外衣にし、虎の皮を肩掛けにした。そこでリシたちは、自分達よりもいっそう力をもった人が前にいることを理解し、彼に頭を下げ、教えを乞うた。そこでシヴァは、人が開放に到達するのは行為によってではなく、行為の放棄によってであることをリシたちに説明した。 詩人ムルガナルは、この主題について百連の歌を書きたいと願っていたが、七十連を越えた後、容易に進むことができなかった。彼は、バガヴァーンがシヴァの教えに関係する詩を書くにふさわしい人物であることに気づいた。 そこでムルガナルはバガヴァーンにそれを書いてくれるよう懇願した。それに従ってバガヴァーン <b>...</b>
ラマナ・マハルシ-真我についての五つの頌 エカートマ・パンチャカム
これはバガヴァーンによって書かれた最後の頌である。それは帰依者の一人「シュリー・ラマナシラマムからの手紙」の著者、シュリー・ナーガムマ夫人の要請によって書かれた。かれはそれをテルグ語で、しかしヴェンバと呼ばれるタミルの韻文形式で書き、その後タミル語に翻訳された。すでに「アートマ・パンチャカム」と呼ばれるシャンカラーチャーリヤの作品があるので、バガヴァーンはかれの作品を「エカートマ・パンチャカム」(Ekanma Panchakam)と呼ぶことに決定した。 Oh Arunachala siva! ラマナ・マハルシの言葉 (単行本) ラマナ マハルシ (著), アーサー オズボーン (編集), Ramana Maharshi (原著), Arthur Osborne (原著), 柳田 侃 (翻訳)
ラマナ・アシュラム正門前
2010年4月のラマナ・アシュラムの正門前です。
ラマナ・マハルシ シュリー・アルナーチャラへの五連の詩
SRI ARUNACHALA PANCHA RATNAM(アルナーチャラ・パンチャラートナ) 人それぞれの理解に従って、神の三つの面がある。それはサット(存在)・チット(意識)・アーナンダ(至福)である。サットという面は、存在への絶えざる探求と至高者の中でのその個体の消滅の後に、存在の本質の中で安息すると言われるジュニャーニによって強調される。 チットという面は、心を安定させるために呼吸の制御に努力し、その後で、すべての方向を照らす一つの光として神の栄光(存在の意識)を見ると言われるヨーギーにとってのものである。 アーナンダの面は、神の愛のネクターによって興奮させられ、至福の体験の中で自らを消滅させた帰依者にとってのものである。これから離れる気にならなくて、彼は永遠に神の中に吸収されたままとどまる。 四つのマールガ、カルマ、バクティ、ヨーガ、ジュニャーナは相互に排除するものではない。しかしそれぞれは、もっぱらその素質に応じて求道者に容易に訴える神の固有の側面の観念を伝えるために、古典的著作の中で分離して記述される。この賛歌は短いけれども、圧縮されたものであり、学習的にも哲学者にも関心を引くものとして展開可能である。 Oh Arunachala siva! ラマナ・マハルシの言葉 (単行本) ラマナ マハルシ (著), アーサー オズボーン (編集), Ramana Maharshi (原著), Arthur Osborne (原著), 柳田 侃 (翻訳)
ラマナアシュラムの犬
ガリガリにやせた母犬がとても苦しそうです。
宗教学講座 初級 第16回 仏教(無我の教え2)
仏陀は自己や自性、宇宙などの形而上学的概念について語らなかった。それは弟子に苦しみから逃れることに役立たない無意味な議論に陥らないため、ということもあったろうが、仏陀が沈黙した理由は別の所にあると思う。 自己(アートマン)は非顕現で絶対に現れないし、言語で語ることもできない。しかしラマナ・マハリシは次のように言っている。「マウナ(沈黙)はイシュワラ・スヴァルーパ(神の自己)である。」と。 自己の直接の現れである沈黙は表現することが出来るのである。 最高の悟りを実現した聖者には「自己(アートマン)」は沈黙として現れる。従って、ラマナ・マハリシや仏陀は、弟子の質問に対してその回答を「沈黙」をもって示したと考えられるのである。 (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)
宗教学講座 初級 第6回 意識の進化と界層(ニルヴィカルパ)
近代インドに二人の偉大な聖者が現れた。一人はラマナ・マハリシ、もう一人はラーマクリシュナである。 この二人はいずれも解脱者であるが、その悟りのレベルは、サハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディ(無種子三昧)とケヴァラ・ニルヴィカルパ・サマーディ(無相三昧)と異なっている。この違いによって、一方はブーヴァ・ローカ(色界)の存在(如来)となり一方はブー・ローカ(欲界)の存在(菩薩)にとどまる。 サマーディの深さ広さは様々で、ヨーガ・スートラ(ヨーガ根本教典)に細かく記述されている。パラマハンサ・ヨガナンダはその著書に宇宙意識の体験を記述しているが、それがどのサマーディに相当するかを知ると「解脱」についての理解がより深まる。 【映像配信サイト】 www.unity-design.info
宗教学講座 初級 第1回 受講に当たって
複雑に入り組んだ多くの宗教の本質を、系統だって分かりやすく解説する講座です。 神智学、ヒンドゥー教とヨーガ、その他の宗教など、全部で30〜50回続く予定です。 第1回で紹介された参考図書一覧1)「マイトレーヤの使命第1巻〜第3巻」ベンジャミン・クレーム著、シェア・ジャパン出版2)「秘教から科学へ」神尾学著、出帆新社3)「シークレット・ドクトリン(宇宙発生論上)」H・P・ブラヴァツキー著、竜王文庫4)「シークレットドクトリンを読む」H・P・ブラヴァツキー著/東條真人編訳、出帆新社5)「聖なる科学」スワミ・スリ・ユクテスワ著、森北出版6)「あるヨギの自叙伝」パラマハンサ・ヨガナンダ著、森北出版7)「魂の科学」スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著、木村慧心訳、たま出版8)「解説ヨーガ・スートラ」佐保田鶴治著、平河出版9)「インテグラル・ヨーガ」スワミ・サッチダーナンダ著、めるくまーる社10)「ヒンドゥー教―インドの聖と俗」森本達雄著、中公新書11)「マヌ法典―ヒンドゥー教世界の原型」渡瀬信之著、中公新書12)「 シリーズ世界の宗教 ヒンドゥー教」マドゥ・バザーズ・ワング 著、山口泰司訳 、青土社13)「沈黙の聖者―ラマナ・マハリシ-その生涯と教え」シュリ・ラマナシュラマム、出帆新社14)「不滅の言葉―大聖ラーマクリシュナ」マヘンドラ・グプタ 著、 田中嫺玉訳、 中公文庫15)「幸せを開く7つの扉」ビジネス社【映像配信サイト】 www.unity-design.info 第1回で紹介された参考図書一覧1)「マイトレーヤの使命第1巻〜第3巻」ベンジャミン・クレーム著、シェア・ジャパン出版2)「秘教から科学へ」神尾学著、出帆新社3)「シークレット・ドクトリン(宇宙発生論上)」H・P・ブラヴァツキー著、竜王文庫4)「シークレットドクトリンを読む」H・P <b>...</b>
絶対への扉 / 第二部 Door of absolute 2 stir fried s Mooji Tiruvannamalai Retreat
ムージの、2008年ティルヴァンナーマライ(南インド)・リトリートより。 本当の自己(真我)に目覚めることが、サットサンのテーマです。 ラマナ・マハルシの教え『セルフ・インクワイアリー(真我探求)』や、ニサルガダッタ・マハラジの『 I AM THAT- 私は在る』などが、基調となっています。
ガンガジ~「満たされて生きる」
地球人のためのスピリチュアルレッスン☆ yukiko.vastill.com ラマナ・マハルシの弟子ババジによって覚醒したガンガジが語る悟りとは・・・☆ガンガジは、「悟り」とか「自己探求」「幸福」という言葉ではなく、Fulfillment 「満たされること」「満足感」「充足感」という言葉によって、シンプルでしかも説得力のある穏やかな口調、ヴァイブレーションを放っている♪エックハルトの「悟り」と共通する、「すべては探求をやめた時に満たされる(悟る)」・・・☆感謝 ガンガジ著「ポケットの中のダイヤモンド」
Who is attached? / 誰が執着するのか?
Satsang with Mooji for Japanese speakers. Clip from first satsang with Japanese translation in India. ------------------------------------------------------------------------------ 日本語通訳で初めて行われたムージとのサットサンより。 2010年1月ティルヴァンナマライ、南インド本当の自己(真我)に目覚めることが、サットサンのテーマです。 ラマナ・マハルシの教え『セルフ・インクワイアリー(真我探求)』や、 ニサルガダッタ・マハラジの『 I AM THAT- 私は在る』などが、基調となっています。
Who is God - Part 2 / 神とは誰か?第二部
ロンドンでのサットサンからのシリーズ第二部Extract from Mooji Satsang intensive week end in London. This video is part of DVD ' The Doubt-less state' session 2 , 26 April 2009.
Rest in Peace or in Pieces/心休めるか粉々か
Japanese subtile of Clip from Mooji's satsang at Sadhu's Pond in Tiru 2010. Because of outside recording, there's many kinds of noise and sounds of amimals but we can feel strong directness of Mooji's energy. It was a last of open satsang during season of India ' Final Call' . 2010年に南インドの聖地ティルヴァンナマナライにあるサードゥの池畔で行われたムージとのサットサン。野外での録音により、さまざまなノイズや動物達の音が入っていますが、とてもダイレクトなムージのエネルギーが強く感じられます。 本年のインドでのシーズンにおける最後のオープン・サットサン 'Final Call'から。